でも確かに、彼女の表情はまるで別人になった。
精神的ストレスが相当たまっていたのだろう。
そんな彼女の挫折復活こそが、信じられないほどのモチベーションーエネルギーを誕生させたのだ。
二〇世紀の日本が残した最大の汚点、負の遺産は、ゆがみまくった教育システムだろう。
学校教育では、「いい子でいよう」「チームワーク」「協調性」というキーワードばかりを子どもに刷り込んでいった。
まさしく狂育だ。
大阪の小学校では、五〇メートル走で、全員が手をつないでゴールインするという。
あまりにもばかげている。
そんなむちゃくちゃな狂育をされた「精神的モヤシ」の子どもたちが、二〇〇六年にはいよいよ社会に侵略を始める。
まさに、二〇〇六年問題だ。
しかし、むちゃくちゃな世代だからこそ、その中にいる「人財」はめちゃくちゃ目立つ。
成果を発揮するはずだ。
「肉体的モヤシ」は、不屈の精神で生きていける。
しかし「精神的モヤシ」は違う。
「人罪」になる可能性大だ。
その「精神的モヤシ」の洗脳を逃れた人たちこそが、「挫折組」なのではないか。
他人が甘やかされているときに、挫折という避難場所に隔離され、このタチの悪い「精神的モヤシ」ウイルスに感染しなかった。
挫折は免疫なのだ。
平等主義の大罪と大企業の「赤蛙」平等主義という戯れ言が許せない。
努力も何もしない人と、血みどろになりながらがんばっている人を、同じに扱うのはおかしい。
私は全国を飛び回っているので、なかなか社員たちと一緒に過ごすことができないのだが、先日、久し振りに本社に帰ることができた。
すると、ある社員が当社のライバル会社の社長の本を真剣に読んでいた。
私の本を読むときは、ギャグにしたり、笑ったりしているのに、とても真剣に読んでいた。
私は入りづらくなって、ドアを閉め外出した……。
こんなことは何度も体験してきたが、すべて自分の責任。
人のせいではなく、社会のせいでもない。
地の底に叩き落とされ、プライドを引き裂かれても、再び立ち上がっていくのだ。
「片親の人が多いから、運動会は弁当を持ってきてはいけません」という、まるで共産主義のような指令を出した学校もあるという。
ひどい言い方かもしれないが、苦しい環境で育った人は、運動会で両親と楽しく弁当を食べている家族のそばで、悲しみと悔しさの中で、一人で弁当を食べないとだめなのだ。
冷たい人間と思われるかもしれないが、それが不屈の精神を育てるのだと思う。
ユーザの株式会社ジールへの求めていることを考え、株式会社ジールは季節ごとに対象ユーザを絞るとします。